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アメリカデザイン留学記

合格辞退と奨学金申請

奨学金申請の準備なんてしてる暇はない。」
 
そんなことを考えていた僕ですが、最終的にはフルブライト奨学金で1年目の学費や生活費などを支援してもらえることになりました。これは、人材交流を通して平和な世界を作ろうという趣旨で作られたアメリカ留学のための奨学金です。
 
フルブライト奨学金

www.fulbright.jp

 
日本には、たくさんの留学支援奨学金があります。若ければ若いほど多くの選択肢があります。そして、その多くは返済義務がありません。(もちろん、奨学金の意義に貢献する心意気は必要です。)
 
日本学生支援機構(JASSO)が豊富な奨学金情報をパンフレット(PDF)にまとめてくれているので参考にしていました。
 
僕は、34歳で奨学金申請をしましたが、年齢的にはギリギリでした。博士課程の奨学金は40歳未満とかもありますが、修士課程は35歳未満のものが多いです。
 
 
大学院入学辞退→奨学金申請
 
2014年の5月、合格した大学院を資金不足のために辞退しました。合格したのに行けないというのは精神的なダメージが大きく、「もう留学やめようかなぁ」と考えるほどモチベーションがギリギリの状態でした。
 
彼女(後の妻)の「とりあえず申し込みだけでもしといたら?」という言葉に背中を押され、フルブライト奨学金の1次審査に5月末(期限ギリギリ)に申し込みました。その後の2次審査には、推薦状も含め様々な資料を提出する必要があったのですが、たくさんの方々に助けられ、8月末(これも期限ギリギリ)に申し込みを終えることができました。
 
なんとか申し込みだけはしましたが、6月以降はモチベーションが下落の一途をたどっており、英語の勉強時間はどんどん減っていきました。それまで自制していた飲み会への参加が増えたり、デザイン関連の勉強会などに顔を出す回数が増えたりと、少しずつ留学というものを自分から遠ざけていたような気がします。
 
そんな日々を送っていた10月末、突然のメールが届きました。
 
フルブライト奨学金の面接日時が決まりましたのでお知らせ致します。」
 
え、まじで!?
指定されたのは10日後。
 
愚かなことに、何の準備もしていませんでした。慌てて留学準備でお世話になっていた学校(AGOS JAPAN)に連絡して、面接トレーニングを手配してもらい、インタビューの準備を開始しました。
 
面接では志望大学について説明を求められるので、大学の情報を整理する必要があります。2次審査で出願予定大学のリストを提出しているので、その大学を選んだ理由を整理する感じです。しかし、困ったことに僕が提出したリストはMBAやらデザインプログラムが混在している迷いの感じられるものでした。実際に迷っていましたし、「これだ!」という決め手が自分の中でない状況でした。
 
出願予定リストに書いた大学の情報を整理しつつ、休憩も兼ねて「Design + Business」みたいなキーワードで何気なくウェブ検索をしていたのですが、見慣れない記事に遭遇しました。
 

sdm.mit.edu

 
MITの新設プログラム?デザインとマネージメント?
しかも、公式発表されたのが2ヶ月前!?
プログラム概要を見て、直感で「これだ!」と感じ、深夜にプルプル震えながら記事に書いていた連絡先(学科長のメアド)に情熱的なメールを送ってしまいました。
 
MBA合格を辞退して、奨学金申請してなかったら出会えてなかったと思うと、人生って面白いなぁと感じています。
 
結局、このプログラムを第一志望の大学院として奨学金のインタビューを受けることに決めました。ただ、既に出願予定大学のリストは提出してしまっているので、面接の時に志望校の変更について説明する必要がありました。(今、振り返ると別にしなくても良かったのかもしれませんが。)
 
面接当日、アメリカ人と日本人の専門家、そして事務局の方々がニコニコしながら迎えてくれたのを覚えています。面接の冒頭で「第一志望をMITの新設プログラムに変えます!」と意気揚々と宣言したのですが、その瞬間に場の空気が若干変わった気がしました。アメリカ人面接官から怪訝な顔でツッコミが入ります。
 
「MITって、超難関で競争率高いんだけど大丈夫なの?
「新設プログラムって、まだ実績ないけど大丈夫なの?」
 
笑顔いっぱいで「大丈夫!」って答えました(笑)
面接の前半は留学動機や志望校についてのやりとりだったので想定の範囲内でしたが、中盤で想像していなかった質問をされました。
 
「日本と韓国とアメリカのデザインの違いを教えてくれる?」
「日本のデザインの強みを教えてくれる?」
 
はい、パニックタイム開始です。
まさか、こんなピンポイントな質問されるとは思っていなかったので動揺しまくりです。日本語でも答えるの難しいのに、英語で説明するなんて難易度高すぎ。。。なんとか私見を話したものの、何を話したかハッキリ覚えていません。全体で15分ほどの面接だったと思います。
 
面接を振り返ってみると、とても大事な質問をしてもらったと思いますし、ちゃんと答えられなかった自分が悔しかったです。
 
日本は「質」、韓国は「スピード」、アメリカは「融合」という異なる特徴(強み)があるというのが今の僕の答えです。
 
面接から1ヶ月後、待ちに待った結果が届きました。
 
「あなたは、補欠に選ばれました。」
 
補欠!?補欠って何??
そう、奨学金には「補欠」(Alternate Candidate)というポジションがあるのです。
簡単に言うと「支援してあげられるか分からないけど、他の人が辞退したり、お金余ったりしたら考えてあげるから、大学に合格したら教えて。」というポジション。
 
この「補欠」というグレーな状態のまま、出願に突入することになります。
 
 
補欠合格→正式合格
 
補欠合格の事を留学していた友人に話したら、補欠でも出願する大学に伝えた方が良いと言われました。彼曰く、奨学金のセレクションを通過しているということはポテンシャルが保証されていると判断できるし、金銭的な問題がなくなる可能性が高いため、大学側はプラス要因として扱うのではないか?とのことでした。もうこうなったら、補欠だろうが何だろうが選ばれたことには違いないので、大学に提出するレジュメ(履歴書)にフルブライト奨学金補欠合格」としっかり明記しましたし、エッセイなど書ける場所には全て記載しました。
 
2015年の1月、MITを含む3校に出願しました。そして、2月の中旬にMIT以外の2校から合格通知をもらいました。合格の旨をフルブライトに連絡すると、お祝いとMITの結果が分かったら教えてと返事があり、補欠のままの状態で3月に突入。3月初旬にMITの面接に呼ばれたので、そのことを連絡すると、頑張ってねとの返事を頂きました。ということで、引き続き補欠のままMITの面接を受けたのですが、フルブライト奨学金からもMITからも連絡が無いまま3月が終わってしまいました。
 
この間もGMATを受けていたのですが、こんな不安定な状態のままでよく続けられたなぁと思います。
 
そして、忘れもしない4月1日。
会社のお花見宴会で(久しぶりに)飲んだくれている時に、1通のメールが届きました。
 
「あなたを正式な奨学生にすることにしました。」
 
えっ!!
一瞬で酔いが冷めました。
が、結局飲み過ぎつつも、正式な奨学生になったことをMITにメールで伝えました。翌日、メールを確認するとMITからよく分からないメールが深夜に届いていました。二日酔い気味だったので、そのままスルーして会社に行く途中にメールを読み返してみると、なんだか合格通知っぽい添付ファイルがあるじゃないですか!
 
 
「I am excited to inform you that you have been accepted to the Integrated Design & Management track at MIT!」
 
 
朝から泣きそうになりました。
助けてくれた人たちに感謝しまくりました。
 
諦めないこと
強く願い続けること
感謝すること
 
そんなことの大切さを出願プロセスの中で改めて学ばせてもらった気がします。